失われた町

失われた町

失われた町

 第17回小説すばる新人賞受賞作『となり町戦争』でデビューした三崎亜記の長編作品。ずっしりとした、読み応えのある物語に仕上がっている。30年に一度、町が"消滅"し、そこで暮らす人々が"失われて"しまう。"消滅"によって大切な者を失った人や、図らずも"消滅"と向き合って生きる道を選んでしまった人たちの想いが、丁寧に描かれている。

 デビュー作の『となり町戦争』や、『バスジャック』では、日常の生活に何か不思議な設定を滑り込ませることが、物語の舞台を作る重要な作業に相当していた。世界を"ちょっと"ずらすことによって、私たちが生きる日常世界と地続きのところで繰り広げられる物語が、読後に日常世界に引き戻された私たちに"めまい"のような感覚を与えてくれた。この"めまい"こそが三崎の魅力なのだと思っていた。
 ところが、本作では舞台装置そのものが、前作までよりも緻密に組み上げられていることに驚きを感じた。装置の根幹に位置する、町の"消滅"というシステムについては、未だ解明の途上にあるという形を取りながらも、本作に登場する"管理局"の研究に耐えうるぐらい細かな設定がなされている。一方で「強化誘因剤」や「西域」、「居留地」などといったディティールは、私たちの世界に実際にあるもの(例えば麻薬など)の延長とも言え、リアルからそう飛躍していないものが、消滅という大がかりな舞台装置を支える役割を担っている。

 物語をごくごく乱暴かつ単純に要約するなら、消滅に人生を"狂わされた"(という表現はきっと適切ではないのだが)登場人物たちが、次の消滅の阻止に挑んでいくまでが描かれている。物語のいわばクライマックスで、時系列的には一番最後に当たる、消滅を阻止しようとするまさに"その時"の場面が、何も状況を飲み込めていない読者に対して、物語の最初に提示される。物語を最後まで読んでから、再び冒頭の場面に立ち戻って、読み返してようやく全体をつかむという読み方をしてしまったが、きっと、作者の意図に反する読み方なのだろうか。
 だが、冒頭に「プロローグ、そしてエピローグ」を、最後に「エピローグ、そしてプロローグ」を配した本作の円環的な構成は、"消滅"に対して、積極的に向かい合う人生を選び取った登場人物たちの"想い"が次々と引き継がれていく様子が重ね合わされているのかも知れない。だとすれば、読者側が円環のどこで物語を終わらせようと一向に構わないかも知れないし、そういう読み方をする読者がいることも、あらかじめ想定されているのかもしれない。

 ところどころ、消滅にかかわる観念的な描写など読みにくい場面もあるが、それでも十分楽しめる作品だ。(おまけにそれを読んだ後に書いているこのレビューまで、何だか観念的な文章になってしまった。町の意志に汚染されたり、触手に触れられるというのは、案外、このような状態をいうのかも知れない)