能登から帰りました

 28日の昼,輪島市を出発。晩には自宅に戻った。帰るという日になっても朝は震度5弱,昼にも震度4の余震が続く中で,「帰るのは早いのではないか?もっと取材するべきことがあるんじゃないのか」とは思いながらも,会社の決めたことなので仕方がない。新聞の紙面上の扱いも小さくなってきたし,取材体制も規模縮小ということなのだろう。
 28日の午前中は,特に仕事が割り振られていなかったので,朝の余震の取材を終えてから輪島市内を自分の足で歩き回った。「記事になることを探す」という視点を脇に置いて,ただひたすら歩いてみる。
 古い街並みに潮風が吹き込む美しい街で,さびれた商店街もなかなか風情がある。そんな街のいたるところに,崩れた建物や瓦礫の山が残っている。重機の音が響き,家財道具を片付ける人々の姿も見える。再開にこぎつけた店舗もあちこちにあり,復興に向けて,街は少しずつ動き始めていた。
 「髪を切ろう」とふと思いついて,理髪店に入った。普段通りに営業しているが,席に案内されると何かが違う。「鏡が割れちゃってねえ」。本当だ。目の前にあるはずの鏡がなかった。60がらみの店主のオジさんと地震の話をしながら,髪を切ってもらう。できあがりを鏡で見るまで,どうなっているのかがわからないという,ドキドキものの体験だったが,割にイメージ通りの髪型ができあがった。
 能登半島地震のニュースはしだいに減り,人々の記憶から薄れていくだろう。「忘れられることがこわい」と言っていたのは,新潟中越地震被災者だったろうか。災害から立ち直るまでにはまだまだ時間がかかる。その過程をみんなで見守ってもらいたい。もちろん自分も,4日間で見聞きしたものを時々反すうしながら,機会あるごとに思いだし,考えていきたい。